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古いデジタルカメラで写真散歩・寺巡り・歴史・仏教など…

鷹狩の歴史

伊勢自然の里・環境学習センターでは鷹の飛行訓練もやっていました

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姫路動物園から職員さんたちがやってきて、動物園でもやっているように行っていました

私が動物園で見た訓練⇒リンク

紀元前から始まったとされる「鷹狩り」
日本では四世紀頃から始まり、その後戦国時代以降は「権威的なスポーツ」として、特権階級のものとされてゆきます

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しかし江戸時代、五代将軍の徳川綱吉がいきなり「鷹狩り禁止令」を出す
「生類憐みの令」を出すほど生き物の命を大切にした綱吉、それまで鷹の訓練に使用していた肉が何と犬の肉だったのも要因だと言われています。しかしその後、八代将軍の吉宗になっていきなり「復活令」を出したりする…
しばらくの間でも鷹匠たちの技術が途絶えたのと、全て野生に還った鷹を再び捕まえて一から訓練始めるのは大変なこと
幕府は鷹を捕まえるため、そして生態系調査や訓練の場として全国の鷹の巣の有る山を「御巣鷹山(おすたかやま)」と名付け、大名や幕府により保護、そして基本的に立入禁止と定めた
「御巣鷹山」と呼ばれる山ってのは全国にあったんですね
そして江戸幕府の終焉とともに、 武家の権威が終わったと同時に、各地の大名家に伝わっていた放鷹術や鷹匠は「お役御免」となったのです…

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では現在ではどうか
趣味やイベントで「鷹匠」と呼ばれる技術は受け継がれているが、本当に実用的に行なわれているのかどうか…

調べたらやっていました

なんとフランス空軍には「鷹匠部隊」というのがあって、不審なドローンを取り締まるため、鷹を導入したのだった…
最新技術のドローンに対して、アナログ的な対策ですね




タカさん、頑張ってね

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  1. 2019/10/30(水) 19:08:33|
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本来「観戦」は命がけ

久々の歴史ネタです(写真ネタが無いときです)…


大好きな阪神タイガースは今年1回も観戦に行っていません
その影響か(?)今年順位が上がらず残念ながらBクラスで終わりそう

観戦…

観戦と言ったら野球やサッカー、プロレスなどスポーツを観ることだと現代人は思うだろう
しかし本来の「観戦」はその名の通り「戦争を観る」ことなんですね

19世紀ころから国際的に始まったとされるこの観戦
戦争する国同士とは関係ない中立の第三国から派遣される「観戦武官」

日本人では、1870年にヨーロッパで起こった普仏戦争に大山巌、1898年のアメリカで起こった米西戦争に秋山真之らが観戦武官として派遣された

そこで知りえた戦術などを自国の軍隊に生かそうと、世界の列国がこぞって各地の戦争に赴いた
観戦に来た武官の安全は、迎え入れた国は最優先で守らなくてはならいというという暗黙のルールがあった

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特に1904~1905年に起こった日露戦争では、久しぶりの大戦争という事で世界各国から多くの観戦武官がやってきた
しかし観戦である以上、弾の飛んでいるところに行かねばならず、命がけであるけど陸軍ならまだいい、危なくなれば逃げれば良いいだけ
しかし海軍の場合が辛い。軍艦に乗ったら逃げ場がない、運が悪ければ艦(ふね)もろとも沈んでしまう

特に日本海海戦ではどこの国も日本が負けると考えていたから総勢40人来た各国の観戦武官のうち、実際に艦に乗り込んだのは、戦艦「朝日」のイギリスの士官と巡洋艦「日進」のアルゼンチン士官の二人のみ

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特に「日進」は、イタリアの造船所で完成間際の時に発注主だったアルゼンチンから日本が買い付けた関係で、アルゼンチンから派遣されたようですが、艦隊の先頭集団に配置されたせいもあって、ロシアバルチック艦隊の砲撃をもろに受け相当な被害を受けたらしい
このアルゼンチン士官も相当怖かったに違いない
ちなみにこの「日進」で指を二本無くすケガを負った士官候補に、のちに日本帝国海軍の連合艦隊司令長官にもなった山本五十六がいた


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いまは観戦と言えばTVを観ながらゆったり楽しむ

平和な世の中になったなあ



  1. 2019/09/21(土) 09:59:46|
  2. 歴史
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榎本武揚と土方歳三

久々の歴史ネタです
写真ネタが尽きたら仏教/歴史ネタで繋げる私…

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幕末に幕府海軍を率いて新政府軍に抵抗、そして明治時代は新政府で大臣を務め、外交を担った榎本武揚(えのもとたけあき)について最近読んだ本で興味を湧きました

彼は「近代の扉を開けた男」と私は考えている

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榎本武揚(ネットから拝借)


幕府軍最後の砦となった函館

五稜郭に立て籠もり、一緒に戦っていた元新選組の副長だった土方歳三と何度も意見対立したらしい…

結局土方は、五稜郭を包囲していた新政府軍に突入して戦死
「これまで死んでいった新選組の仲間たちの為に死なずしてどうする」という古い考えだった

榎本は逆に新政府軍の降伏勧告を受けて入れ降参、そして東京に送られ監獄に入れられる…


新政府内部の薩長閥の連中は「すぐに死罪を」と強調したが、榎本が持っていたある本を巡って助命嘆願をした者が現れる

その本は『万国海律全書(ばんこくかいりつぜんしょ)』というオランダ語の本2冊で、当時の万国の「海上国際条規」として公海上での規律などを表した、「海上の法律書」のようなもの

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「万国海律全書」(ネットから拝借)

榎本は戦火でこの本が焼けるのは後世への損失と考え、なんと敵軍の新政府軍参謀に送ったのだった
これを受け取った新政府軍の黒田清隆が東京にいる旧知の福沢諭吉に翻訳を依頼、すると福沢は、この本の冒頭数ページを訳しただけで黒田に返却、こう伝えた
「この本を本当に訳せるのは実際に和蘭(オランダ)にて講義を受けた榎本のみ」と…
そして「この本の翻訳を榎本に頼めないのは新政府として非常に残念なり」


そこで黒田は行動に移す
なんと丸坊主となって新政府に助命嘆願の運動を興す、そして榎本は死罪を免れ刑期を終えて出獄することが出来た

無題
丸坊主になった黒田清隆と福沢諭吉(ネットから拝借)


ここで榎本自身が、函館で腹を斬って自害、もしくは新政府軍がその場で打ち首していたら、戦国時代というか「近世」のままだった
ちゃんと法の下で刑期を務め、出獄した後は新政府に出仕し、ロシアとの樺太交渉などで外交成果を上げて大臣にもなった

それを認めた新政府もまさに「近代」
明治初頭、国家を強固にするためには有能な人材を次々に登用する必要があった、オランダで海洋軍事に関することを学んだ、元幕臣だった榎本を活かすことも必要だったのでしょうね

この榎本武揚、福沢諭吉、黒田清隆の3人の役者が、近世から近代の扉を開いた言って過言が無いと私は思う…

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そう考えると土方と榎本の違いも面白い

思想が「近世」のままだった土方
対して法が治める国家の扉を開いたと言える「近代」の榎本・黒田・福沢…

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今回は使える写真が無かったので「明治」っぽい写真を幾つかチョイス


歴史って面白い



  1. 2019/05/22(水) 17:12:30|
  2. 歴史
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歴史は繋がっている⑤ 不死身の天皇「後醍醐天皇」

久々のマニアックな歴史ネタを

鎌倉幕府を倒し、天皇による強い中央集権の構想を推し進めた後醍醐天皇
しかしその「建武の新政(けんむのしんせい)」では早くも足利尊氏を中心とする、武士である元御家人たちとの軋轢が大きくなる
後醍醐天皇を後押しし、鎌倉幕府を倒したのに自分たちの思うような恩賞を与えられず、武士を抑えつけるような政策を次々に出す後醍醐天皇には疑心暗鬼を抱くことは当然のことか…

やがて足利派と後醍醐天皇派との争いが発生、後醍醐天皇は吉野に逃れ「南北朝時代」が始まる

自分の思うようなことは、すぐに実行に移し、矛盾を生じまくった。そしてあらゆる訴訟も自分が決済しようとした…
強権過ぎても周りの反感を買うだけで、かつては手を結んだ足利尊氏からは手を切られても仕方がないか

しかしこの後醍醐天皇ほど後世に影響を及ぼす天皇はいないと思う

後醍醐がめざした、天皇が「民」と直接に結びつく「一君万民」のありかた、そして後醍醐天皇は「無礼講」を好んだ。
その考え方は、昔からのしがらみや貴族や僧侶・武士の序列を無視することで、素性の知れない楠正成・名和長年らの無名の者たちをとりたてることにつながった。

そして吉野の山深くで死ぬ間際、「玉骨は、たとい南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕(ほっけつ・北の都)の天を望まん」と名台詞を残して没した
相当「無念」だっただろうな…


そして後醍醐天皇没500年後、江戸時代の幕末…
このままではアメリカをはじめとする西洋列強の植民地にされてしまう、天皇を中心とした中央集権国家を目指さないといけないと考えた為政者たちは後醍醐天皇のやってきたことを振り返ろうとした。
この時代「皇国史観(こうこくしかん)」として日本の歴史が天皇を中心に形成されてきたこととした思想が始まったのもその影響かと思う

そして明治45年に明治天皇が崩御、それに合わせて「殉職」(割腹自殺)した乃木希典。
彼が死ぬ3日前、自らが教育係として皇帝教育をしていた幼い昭和天皇(裕仁親王)に会い、「これを読みなさい」と2冊の本を渡す。
そのうちの一つが「中興鑑言(ちゅうこうかんげん)」という本で、後醍醐天皇のやってきたことで何が良くて何が悪かったのかをまとめた江戸時代の著書だ。


そう考えると、幕末から昭和の初めに至るまで、後醍醐天皇のやってきたことの振り返りの中で進めてきたことを考えると、空恐ろしいくらいに後醍醐天皇の影響を見ることが出来る…



ロック/ポップグループの「ゴダイゴ」

彼らのネーミングは後醍醐天皇からきております

後醍醐天皇にあやかって「GO(進む)」「DIE(一度死んでから)」「GO(復活して走り出す)」
つまり「生きて、死んで、また生きる」つまり不死鳥、復権した後醍醐天皇をイメージしている…

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入れる写真が無かったので後醍醐天皇をイメージ(不動の堅い意思)して不動明王

これほど後世に影響を与えた天皇は他に居ないと思う…

はやり歴史は繋がっていると思う



  1. 2018/12/04(火) 21:59:57|
  2. 歴史
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歴史は繋がっている ④ 「神国」という思い込み

ネタ切れの為に「歴史ネタ」を…

学校で習った「蒙古来襲」
文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)といって、鎌倉時代にモンゴル帝国が2度にわたって日本に攻め込んできた

そのたびに台風がやってきて、モンゴルの船を難破させて我が国の勝利、と言われています

しかし博多湾に沈んだモンゴルの船を詳しく調べると、意外な発見があった
船の中心を貫く「縦梁(たてりょう)」の中心線上に帆を張るマストがないといけないのですが、マストを差す穴(ほぞ)、それがずれまくっている…バランスが悪かったことが判った
つまり帆船の基本構造を無視して造られている船が殆どだった、モンゴル皇帝のフビライの命で突貫で造ったんでしょうね
しかも船の漕ぎ手はモンゴルの占領地、船に慣れない高麗人の奴隷たちだったようだ
つまり少し荒れた海でも安全性なんて保障されなかったようです…



しかしその後のわが国では
「神風が吹いて敵をやっつけた」と信じらてその後の日本の世界観が大きく歪められた


金沢文庫に保存されている、鎌倉時代から残る「日本図」
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ネットから拝借

我が国の周りを神の使いである龍が守っている…

その後わが国は、ご存知のように対外戦争では「神の国であるから負けるはずがない」と信じられてきた

鎌倉時代から少し下がって南北朝時代
南朝の北畠親房は「神皇正統記(じんのうじょうとうき)」にて『大日本は神国である』と宣言

桃山時代には豊臣秀吉は「バテレン追放令」の第一条に
『日本ハ神国たる処きりしたん国より邪法を…』とある

江戸時代には古典や神道を研究する国学が盛んになり、平田篤胤によって「復古神道」が確立

そして明治時代、日清日露の戦争で際どいながらも勝利し、国民自体も歪んだナショナリズムに突き進んでいく…

事実、明治のこのかた太平洋戦争にいたるまで宣戦布告の「詔勅(しょうちょく:天皇の宣言)」は
『天祐を保有する日本国の天皇は』から始まる…
つまり「天皇は戦いに勝つための天の助けを生まれながら持っている」と宣言してから戦を始めている

「神に守られている」という考えが合理主義を駆逐してったのだろうか
そんな考えが無謀な太平洋戦争を引き起こした要因の一つだったのかな…

やはり歴史は繋がっていると思う



入れる写真が無かったので台風が去った後の草
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蒙古来襲の時台風が去った後、博多の浜辺に雨露に濡れた草花、そして目の前に広がる海には昨夜まで浮かんでいたモンゴルの船が一艘残らず消えていたんでしょうかね…




  1. 2018/10/01(月) 19:57:47|
  2. 歴史
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プロフィール

yamamtso

Author:yamamtso
アマチュアカメラマン
toshiと申します

カメラ・寺巡り・歴史探訪
そして仏教…
探求してきたことや、
ふと思ったこと、出会いなどを
残像(Afterimage)として
残していこう。

古いデジカメばかりで
お見せするのが恥ずかしい
写真ばかりですがよろしく
お願いします

camera
Nikon:D40
Nikon:D810
FUJI:FinepixS3Pro
FUJI:FinepixS5Pro
FUJI:finepix 6800z
SONY:Cybershot DSC-P150

lens
TOKINA:ATX124PRO12-24mm
Nikon:SERIES E 35mmf2.5
Nikon:Ai45㎜f2.8P
Nikon:AiMicro55mmf2.8s
Nikon:AF50mm/f1.8
Nikon:AF18-140mmVR
Nikon:AF55-200mmVR
Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5
Nikon:AF28-80mmf3.3-5.6G
SIGMA:AF28mm/f1.8 ASFⅡ
SIGMA:AF24-105㎜f4ArtLINE
TAMRON:AF90㎜f2.8VC
TAMRON:AF70-300mm/f4-5.6
       etc

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