toshi's afterimage

古いデジタルカメラで写真散歩・寺巡り・歴史・仏教など…

「柿の種チョコ」と豊臣秀頼

今日会社から帰ってきたらリビングに置いてあった「柿の種チョコ」

IMG_20180123_193608.jpg


「美味しいから食べてみて」とカミさんが言うから2、3個食べてみたら結構旨い。しかしチョコの甘味が強くて肝心の柿の種のピリッとした辛みが殆ど感じられない…
チョコもミルクチョコよりもビーター感があったブラックチョコの方が良かったかな?と感じた次第

肝心の柿の種を包み込み過ぎて表に出てこない

豊臣秀頼のように

徳川家康は豊臣家を葬り去るために関ヶ原から15年も費やした、それだけ相手が手強かったんだろうな。
その中心が豊臣秀頼であったのですが、これほど良く分からない、実像のさっぱり分からない武将って珍しくないか?
なんせ母親の淀君が大事に大事に羽交い締めするように、まるで「秘仏」扱いして外に出さなかったのが実情。西軍側に知恵者がいて秀頼を凛々しい武者に仕立てて、軍の先頭に立たせたら後世にもっと名を遺し、書物にその名を遺したはず。源義経には「義経記」、楠木正成には「太平記」、そして父親の秀吉には「太閤記」があるではないか…

特に大阪の陣ではあちこちからやってきた寄せ集めの武将達ばかり。一つにまとまるのも大変だったろうな、真田幸村と後藤又兵衛の確執は有名ですが、そんな武将たちの前で一度でも秀頼がやってきて「皆のもの気を抜くではないぞ!」などと一言でも言えば良かったのにな…
全て淀君が否定し、武将たちの前にも現わせることを拒んだそうな…

結局豊臣秀頼は「一度も戦場に出ずに命を落とした武将」というレッテルを貼られることになる…

そんのことを考えながら、この「柿の種チョコ」をポリポリ…

何でも歴史上の話と結び付けてしまう私って変?









スポンサーサイト
  1. 2018/01/26(金) 21:22:10|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

熟柿(じゅくし)…権力が手元に落ちてくる

先日の溜め池へ行った時に畦道で見た柿木
幾つも実が残っている

DSC_4152.jpg


自然に干しあがって、まさに「自然による干し柿状態」でした。
カラスや猿が食べても良いと思うのだが…「渋柿」だからか?

熟柿(じゅくし)…
熟した柿が自然に落ちてくるように、待つことによってほとんど無理をすることなく政権を手に入れるような例が日本の歴史上いくつかありますが、それでは前政権を引き継ぐだけで自分の思うような権力行使は出来ない。だってトップの人間が死んでもその周りにいる、配下である「取巻き」が残っているので前政策をある程度引き継がなくてはいけない。

「権力は引き継ぐより、全てを滅ぼして奪い取るほうが良い」とはある歴史家が言った言葉、まさにそうですね。

戦国の世でも、斎藤道三に代表されるような親子による「骨肉の争い」なんてアッチコッチで起こっています

時代は遡って672年に勃発した「壬申の乱」
天智天皇の跡を継いだ天智の子供である大友皇子(弘文天皇)に対し、天智の弟である大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に逃れた後、地方豪族を 味方に付けて反旗をひるがえした反乱です。
結局大海人皇子側の勝利となり、大友皇子を滅ぼして、天武天皇として即位しました。

まあこの内乱は、大海人皇子よりも彼の妃である鸕野讚良(うののさらら:後の持統天皇)が起こしたという説がありますね、だって「持統天皇即位前紀」では、壬申の乱での兵の配置は全て鸕野讚良が考案してやったと書いてある…強い女だ
『あんたは吉野の山奥で潜んでいる場合じゃないのよ!都の大津京に進撃して権力を奪い取るのよ!』なんて夫である大海人皇子をけしかけたんだとある程度、想像してイイかも…

結果的に勝利して、権力を奪い取った大海人皇子が天武天皇として即位、鸕野讚良と共同して新しい政策を次々に生み出し、新しい国造り(このときに初めて『日本』と国名を定めた)を進めたのでした…


DSC_4154.jpg


熟柿が落ちてくるのをひたすら待つか
それとも一気に柿の木を揺らして落とすのか

あなたならどっちを選びます??


  1. 2018/01/22(月) 19:49:35|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

眠ったままのモノレールと加賀藩

正月休みの間、近所の中央公園に展示されているモノレールを撮りに行ってきた

DSC_4045.jpg

かつては交通の一環を担っていたモノレール、この中央公園から旧国鉄姫路駅あたりまでの約4Km、モノレールの沿線が伸びていました。今は閉鎖され、駅があった場所に眠ったままであったが3年前より市民の要望から公開されています。

DSC_4047.jpg

DSC_4032.jpg


約40年前から永い眠りについているモノレール。もう走ることはありません。

DSC_4046.jpg

永い眠りと言えば加賀藩を思い出す。
江戸初期から幕末にかけて「加賀百万石」と言われた経済力。この経済をもって幕末に武器を買い込んでいれば薩摩や長州を併せてもとてもじゃないが敵わない「日本一の雄藩」となっていたはず。
なのに何故加賀藩は明治まで眠りこけていたのか…

それは前田家の三代目当主の前田利常が演じた「アホ」によるものだと思う

豊臣秀吉の時代、前田利家は秀吉と「竹馬の友」だった。
秀吉が亡くなり、利家も死んだあと2代目の利長は利口だった。「豊臣家への義理は父で充分果たした」と宣言し、徳川方に付いたのだった。しかし関ヶ原が終り、徳川の世になると、豊臣懇願の諸藩は目の敵にされて潰される羽目に…もちろん前田家もそうだった。しかし3代目の前田利常はもっと利口だった。生き残るためになんと「アホ」を演じ切って変な嫌疑を徳川に抱かせなかったのであった。
鼻毛を延ばし、口を開けたままで江戸城を歩いたのは有名で「この阿呆ぶりではとても反逆はできまい」と幕府に印象付けたのだった…さらに利常は財力をすべて美術工芸に奨励し文化にうつつをぬかした藩であることを内外に印象付けることに全てを捧げた感があります。金沢が今日でも日本の美術工芸の中心一のつである要因はそこにあるんだろうな。
そのまま加賀藩は眠った状態で、幕末まで続いてしまった

逆に戦国時代の加賀は凄まじいもので、浄土真宗の一大拠点として民衆が団結し、当時の戦国大名だった冨樫氏を追い出して民衆による「自治国」が出来上がるほど過激だった。当時の「加賀一揆」は織田信長が征服するまで誰も手が付けられなかった勢力だったとか。
そんな過激な国をたった3代で「狸寝入り」させてしまった前田家の内政の見事さは凄いと言わざるを得ないと思います。


もう二度と動かないだろうと思うこのモノレール

DSC_4050.jpg

でもいつかは目覚めて動いて欲しいなァ

小学生の時に父親と一緒に乗った時の感動を思い出す








  1. 2018/01/12(金) 22:25:05|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

昔の人は歩いた歩いた

今日、家に帰って万歩計を見たら
「自分にしては歩いた方かな」と…

20171212_192015.jpg

私の仕事柄、各現場を渡り歩いているので結構歩く方です
でも痩せないんだなァ…

先日の人間ドックで医者から「平均体重まであと8kg、痩せるように努力は続けてくださいね」と念を押されまくりでした

しかし現代人に比べて昔の人はとにかく歩いた歩いた…


特に幕末の志士と呼ばれる人たちは。
坂本竜馬は健脚だったが上には上があるようで、東海道は通常は15日かかるようだが岩崎弥太郎は江戸から京都を通り過ぎ大阪まで8日で歩いたし、中岡慎太郎は觔斗雲(きんとうん)でも持っているとも言われた。薩摩の大山弥助(のちの大山巌陸軍大将)は江戸と京を三十往復したそうな。しかもその燃料はというと、現代からは比べものにならない位、栄養の無い粗食だったんだろうな…

彼等に万歩計を渡したら「桁が二つ足りないぜよ」なんて言われそう

昔の人は偉かった



  1. 2017/12/12(火) 21:24:25|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

情報を制する者が戦国を制する

私は会社へは車通勤です。
今日たまたま車の中でスマホを充電しながら通勤していて、そのまま車の中に置いたまま仕事が始まってから気付きましたが「一日くらいスマホが無かったって気にしないでおこう」と思っていましたが休憩所ではみんな下を向いてスマホいじり。私だけとり残された感じがして結局、次の休憩時間を利用して駐車場まで取りに行きました…
しかしみんな一日のうち何時間スマホを眺めているんだろう?
ここ数年で現代人はインターネットをはじめあらゆるマスメディアから膨大な情報を浴び続け、知らずのうちにスマホが無いと何事も集中できないような状況になっているんだろうかと心配(私もその一人)

DSC00670_201712062227048cb.jpg


戦国時代
桶狭間の戦いで今川軍を破った織田信長が重く報いたのは、敵将の首を多く取った武将よりも事前に敵陣の情報をもたらした男たちであった。
この時代に「情報」という言葉はないが、群雄の中で頭角を現すのは情報に敏感な物ばかりであった。領内の動静や隣国の様子など、その把握を怠った者は没落していくしかないのであった…
羽柴秀吉が本能寺の変を備中高松で知ったのは、変のわずか40時間後であった。飛脚はその時間で300kmを走り切ったことになる。それが秀吉の運命を変えた。道中は敵ばかりなので宿場や駅では情報漏れの恐れがあるので逓伝(ていでん、つまりリレーのこと)は出来ない、つまり一人で走りきらなければいけない。その時間内に一人で無事に情報をもたらしたのは奇跡としか言いようがない。
対する毛利方の諜報者は道中で秀吉方に捕らえられ扼(やく)された。
つまり情報が伝わる速度は人が走る速度と同じ。これが劇的に変わるのは幕末、風の向きに関係なく進む蒸気船が開発されてから情報だけでなく、兵員まで一気に運べるようになった。


今では「情報」は容易に安価に手に入る、寝転んでいてもスマホからドンドン入ってくる

戦国武将たちが現代のこの状況を見るとどう思うだろう
「簡単に手に入るなら嬉しいが要らない情報ばかりではないか」と思うかも…

「要らない情報」あるいは「それほど重要でない情報」ばかりに踊らされている現代人
戦国時代にいきなりなったら全員全滅してしまうかも…





  1. 2017/12/06(水) 22:52:19|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ

プロフィール

yamamtso

Author:yamamtso
カメラ・寺巡り・歴史探訪
そして仏教…
探求してきたことや、
ふと思ったこと、出会い、
そして邂逅(かいこう)等を
残像(Afterimage)として
残していこう。

古いデジカメばかりですが
未だ現役。

camera
NIKON:D7000
FUJI:finepix 6800z
SONY:Cybershot DSC-P150

lens
TAMRON:AF17-50mm/f2.8 VC
Nikon:AF50mm/f1.8
Nikon:AF55-200mmVR
Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5
Nikon:AF28-80mmf3.3-5.6G
SIGMA:AF28mm/f1.8 ASFⅡ
TAMRON:AF70-300mm/f4-5.6
       etc

リンクはご自由に(一言連絡いただければ有難い)

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (2)
カメラ (13)
歴史 (31)
写真 (20)
寺巡り (22)
独り言 (36)
写真散歩 (123)
仏教 (30)
レンズ (5)
播州の祭り (13)
神社 (3)
日記 (62)
旅行記 (9)
オーディオ (1)

アクセスカウンター

カレンダー

01 | 2018/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -

アルバム

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる