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古いデジタルカメラで写真散歩・寺巡り・歴史・仏教など…

電気自動車とペリー来航

先日の近江八幡ツアー
車を出してくれたのは「見仏クラブ」のT隊員、彼の車は最先端を行く電気自動車です。

サービスエリアで充電していると、駐車場に車を停めたオバサン(ガソリン車)がジッと充電している模様を観察していた…

IMG_20180613_080406.jpg

「何しているんだろうか?」という不思議な眼差しで見つめている

そのオバサンにとって電気自動車なんて別の世界からやってきた乗り物なんだろうかな…

ところで、サービスエリアの充電は、国の指導で1回30分までと決められているみたい、だってフル充電まで独り占めしていると、後からくる電気自動車が詰まって「充電渋滞」が起きるとも限らない
だからバッテリーが空になってもフル充電とまではいけません。姫路から近江八幡間の往復で、実際には充電を2回する羽目に。
サービスエリアでの充電時間なら30分くらいは充分に休めるのですが、今後電気自動車(あるいはプラグインハイブリッド)がドンドン普及していくと、各サービスエリアに1ケ所ないし2カ所ある充電ポイントをドンドン増やしていかないと、大型連休になると「充電渋滞」がドンドン増えていきそうな感じです。
もしくは1回の充電時間を短くしていくか…そうすれば電気自動車の後続距離が短くなり更に悪影響が

何事も「便利」の影に「ある程度の犠牲」もあると言う事ですかね…



今から160年ほど前
二度目の来日になったペリー提督が、日本にお土産として持ってきたのが電気通信機・蒸気機関車(1/4スケール)・ミシンなどの世界最先端のテクノロジー
当時の錦絵や瓦版を見ると人々の驚き様は凄かったようですね


蒸気機関車にたいして「麦畑のなか六十間(約108m)ばかりの間を幾度も走り候」と当時の瓦版

そして幕府役人の前で、1マイル(約1,600m)離れた場所同士で情報伝達実験を行った電気通信機

ミシンは当時、江戸城に居た篤姫さんがたいそう気に入って、1年ほどで使い熟せる程、熱心に使っていたとききます

当時の幕府役人たちは、サービスエリアのオバサンと同じような眼差しで、これらのテクノロジーを見ていたことだってでしょう



静かな電気自動車、運転中もガソリン車と比べて騒音が遥かに小さい
助手席でツイツイ寝てしまった…

しかしインフラ整備として、充電ポイントの数の充実、あるいは充電時間の見直しがもう少し進まないと普及はまだ難しいか…

姫路までの帰路、助手席でそんなことを考えていました




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  1. 2018/06/16(土) 02:07:29|
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鋭い刃が交差した幕末京都

先日水族館へ行って来た

外来種で日本全国の河川で見かけるようになった「アリゲーターガー」の剥製をマクロレンズで狙った

DSC_6081.jpg

この魚は名前の由来のように、ワニのような鋭い牙をむいて他の魚や貝などを喰らう肉食の獰猛な魚です
本国のアメリカでは2m程度の個体はざらで、大阪城の堀で1.5mの個体が捕獲されたことは有名です
一噛みで人の指くらいは簡単に食いちぎられてしまうんだろうな

この牙をクローズアップして撮影しているとチョイ怖ささえ感じてしまった

鋭い刃が交差した幕末の京都を思い出した

尊王攘夷を叫ぶ志士たちがアチコチでテロを起こす
そして人が簡単に死ぬ

長州の高杉晋作が同藩のものと秘密会議
将軍である徳川家茂の行列に斬り込もうと相談していた。どこからその秘密計画を聞いたか他藩出身の浪人がやってきて「自分も一党に加えて欲しい」と…
高杉は不愛想な男で「我々は他藩の者の手は借りぬ」とにべもなく断ると、その浪人は自分の武士としての覚悟を軽蔑されたと思い
「わしがどういう人間か見てみろ」と言って軒下に飛び出すなり、腹を斬って死んでしまった
そういう時代でした

こんな感じで天誅と称して京都のアチコチでテロが勃発
これに対して幕府方も会津藩と組んで警察組織として「新選組」や「見回り組」を投入して「血で血を洗う」凄まじい地獄絵が京都で展開されていた幕末
まさに「毎日どこかで誰かが暗殺・惨殺されていた」

まさにアチコチに「アリゲーターガー」が獲物を狙って京都の街並みにウロウロしていたと思ってイイかも…

今の「はんなりした」京都から150年前は想像も出来なかった時代ですね

今日は朝から「パパさんソフトボール」の練習があり、久々に体を動かしたのでだるいです、明日にはきっと足腰が痛くなっているでしょうね…
こんな私ならアリゲータガーのうろつく幕末の京都ではすぐに喰われてしまうだろうな…






  1. 2018/05/27(日) 16:47:12|
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新選組はまさに鋭利な道具たち

久々の歴史ネタを…

今年は明治維新150年です
歴史系のTV番組はこぞって幕末から維新にかけての特集をよくやっています

その中で特に異彩を放っているいる集団が新選組

幕府に忠義を誓い、幕府に反旗を翻すものをドンドンぶった斬っていく

隊士になったものは剣の技量以外に忠誠心も試され、鋭利な道具のように働きまくった


獅子を彫る職人

その道具はいつも手入れされ、鋭い切っ先で職人に操られて仕事をする

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まるで新選組の隊士のようだ…

しかし忠義を尽くすあまり、その隊士内での粛清も激しかった

ある記録によれば、新選組が斬った人が35名(正式な記録に残った数)に対して新選組内で「志にそぐわない」という理由で粛清された隊士の数が何と40名…
切り倒した敵よりも身内を斬った数の方が多い

多くの隊士が農民や町民出身であった、実際に近藤や土方も農民の出身だった
そのために「武士以上に武士であれ」という思想が厳しい掟を定めたと思われます

やがて幕府が崩壊し、幕府への忠誠心を拠り所にしていた彼らは、死んでいった隊士の意を引き継いで戊辰戦争の中で死んでいった

これらの道具も同じ
それぞれが違う目的(削る場所・削る大きさなど)の為に造られ、使われていく
それ以外の目的では決して使用されない

DSCF8204.jpg

大局的に見ると新選組も大きく思想を転換できずに、最後まで鋭利な道具のように使われ時代の波にさらわれて滅びて行った

でも最後は崩壊寸前の幕府から正式に武士に認められ、武士として死んでいったことを見ると彼らなりに幸せな人生を全うしたんだろうな…


  1. 2018/05/07(月) 20:25:05|
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隔絶された土佐

今年の2月に高知へ行ってきました。帰りは風雪のため高速道路(高知道)は通行止め。仕方がないので四国山脈を貫く国道をひた走りました。渓谷に沿って険しい道が続きます。

1518326695670.jpg
高知から瀬戸内へ抜ける険しい国道32号線

かつて土佐は他の国と隔絶した地でありました。紀貫之は都から土佐に赴くだけで50日も費やしたそうな。土佐から他の国へ行く際は、海沿いは足摺岬や室戸岬を経由すればかなり遠回りとなり、険しい四国山脈を越えて行かねばならない…幕末に坂本龍馬が土佐藩を脱藩した際は四国山脈を一気に駆け抜けたそうですが、相当難儀したんだろうな…

四国山脈で隔絶されたおかげで、生物の分布も隔絶されていました。日本全国に生息している鯉も実は三百年前までは土佐にはなんと生息しておらず、時の藩主が大坂から一万匹買い付けて池や川に放流しようやく繁殖したという。
馬もそうでした。戦国時代に土佐を拠点とし、四国ほぼ全土を掌握した長曾我部氏。豊臣秀吉の軍門に下って、大坂に配下を連れてやって来た時に大坂城下の人々は驚いた。乗ってきた馬は犬かと思うほど小さかったのであった。「土佐駒(とさごま)」といわれる土佐独特の品種で、騎馬戦をやれば大きい馬に対しは不利だが山路の騎走は得意で荷物を運ぶ「荷駄馬」として最適だった。わざわざやってきた長曾我部元親に秀吉は引き出物として、豪華な鞍を装着した葦毛の馬を元親に与えた。元親は土佐に帰国後、その馬を家臣に見せたとこころ「これが馬か」と皆大きさに驚いたといわれている

それくらい世と隔絶した土佐でしたが、何故か土佐で使う日本語こそ「標準語」だと言われている
兵隊を「へータイ」とは言わず「ヘイタイ」
整理を「セーリ」とは言わずちゃんと「セイリ」とちゃんと発音する

明治期になって奥州会津の小学校で発音矯正教育が行われたとき、教師は首都である東京から呼ばず、僻地だった土佐からわざわざ呼ばれたようです。明治期に土佐から沸き起こった「自由民権運動」は土佐の田舎からいきなり日本各地の政論の舞台に立てたのもこういう発音の正確さが元になっていなんだろうな…

隔絶された土地だから、発生した正しい日本語が他の土地と交わらず正しく引き継がれたのでしょうかね…

正しく、そして気持ちを込めた発音する坂本龍馬だったからこそ、アチコチで一癖も二癖もある志士たちを説き伏せてきたんだろうかな

余談ですが、平成26年の厚生省統計では高知県にはホームレスが3人しかいないそうです
自由闊達で、自身の意見を正確に隠さず述べる、そしておおらかな気候がそうさせているのか…
そして人口密度に対して、高知県で日本一多い職業は弁護士だそうな


高知の浜で太平洋を撮る

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高知の穏やかな海

このおおらかな海を見ていると、土佐の独特な風土の一端に触れた、そう感じずにはいられません






  1. 2018/04/11(水) 19:46:31|
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安富ダムと江戸時代の封建制

先日訪れた「奥播磨かかしの里」へ向かう途中にある「安富ダム」に立ち寄った

DSC_4334.jpg

ダム管理用のボートが浮いている
風や波が無く、湖面に雲がきれいに写っていた
DSC_4335.jpg

川下の放水側
安富ダムは発電用ではなく、洪水調整と河川維持が目的
DSC_4337.jpg
こうやって河川の水量を調整して洪水対策をやっているんですね

ふと思い出したのは、江戸時代の封建制
支配階級の頂点である大名そして武士、底辺はもちろん農民
江戸時代は日本に三百近くの藩があり、各大名が大小さまざまな領地を統治していた
おもしろいことに、大名は農地を所有しておらず、農地は農民の持物だったのです。大名は租税を(米)を取る権利を有していましたが、行政を行う義務、そして農民(領民)を守る義務も持っている存在でした。
しかも大名の家来たちである武士の棒給はじつに安く、かれらの大半は中級の農民・商人と比較しても遥かに貧しかったと言われています。よく時代劇で、武士であるけど陰で「傘貼り」・「下駄直し」などの副業をやっているシーンがありますが正にその通り。しかし貧しくてもたいへん律儀で私心が無いということで、かれらより下の階級である、農民や商人たちから尊敬されていた。
たとえ一揆が起き、城を農民たちに囲まれても勝手に火縄銃の「水平発射」は出来ない。農民に対しての発砲は江戸幕府に伺いを立てて老中の許可を得ないと領民に発砲は出来ないことになっていた。しかも一揆が発生すれば幕府から「統治能力が無い」と烙印を押され、幕府から転封や領地取り上げなどの御咎めは免れなかったようです。そうやって上手く統治する側・される側のバランスを取っていたと言って差し支えないと思います。
まるで洪水調整ダムのように(例え方が変かな?)…
「士農工商」と学校で習いましたが。底辺の農民を持ち上げて「士」の次に「農」を上げていた所に心遣いを感じます

幕末にこの封建社会が「ダム決壊」するまでの260年間も、うまく機能していたのは「世界的にも珍しい」とある歴史家は言っていました

人間個人もそうだと思う
短気ですぐに「ダム決壊」するようでは周りにも迷惑だし、自分で自分が嫌になる
このダムのように時々ガス抜きする余裕を持たねば…







  1. 2018/02/21(水) 22:22:26|
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yamamtso

Author:yamamtso
カメラ・寺巡り・歴史探訪
そして仏教…
探求してきたことや、
ふと思ったこと、出会い、
そして邂逅(かいこう)等を
残像(Afterimage)として
残していこう。

古いデジカメばかりですが
未だ現役。

camera
NIKON:D7000
FUJI:finepix 6800z
SONY:Cybershot DSC-P150

lens
TAMRON:AF17-50mm/f2.8 VC
Nikon:AF50mm/f1.8
Nikon:AF55-200mmVR
Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5
Nikon:AiMicro55mmf2.8s
Nikon:AF28-80mmf3.3-5.6G
SIGMA:AF28mm/f1.8 ASFⅡ
TAMRON:AF70-300mm/f4-5.6
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