昨日「石積」の風習を書いてるときに「賽の河原」について少し触れました。
その賽の河原の主といえば「奪衣婆(だついば)」です。
これまで撮ってきた写真を見直してみると8年前のファイルに「奪衣婆」さんの写真が残っていた。
奈良の長岳寺で有名な「極楽地獄図」。
8年前に秋の公開時期に合わせて観てきました。
地獄図の前にはパイプ椅子にデンと座った大柄の解説のオジサンが居て、「さあ聴きたいことがあったら訊いてくれ」と手ぐすね引いて待っている。
私が伴の者に地獄絵の説明をしていると横で聞いていたオジサンが「あんたホンマに詳しいなぁ」と私に話しかけて、その場でオジサンと小一時間ほど『地獄談義』に花を咲かせました。
オジサン、ほかの拝観者への説明をほったらかして良かったのかな…?
「写真?あんたは撮ってイイよ」とオジサンに許可を得て撮らせていただきました。
奪衣婆…
本当に恐ろしいオバアサンです。
「奪衣婆」が髪を掴んで罪人を引きずって三途の川に放りこもうとしている
FinepixS9100地獄の入り口、つまり賽の河原にやってきた人たち(つまり死人ですね)の着ている衣を無理やりひったくって傍に生えている木に放り上げる。衣が木に引っかかった高さでその人の罪の重さを測る。
罪の比較的に軽い人は船に乗せて川岸に渡し、罪の重い人はそのまま髪を掴んで三途の川に放り投げるという荒々しいオバアサンです。
上半身裸で胸も露わ、目は血走っており地獄で一番出会いたくないお方です。
一説によるとこの奪衣婆は、死神の王である「閻魔大王」と夫婦(めおと)であり、閻魔もこの奪衣婆には頭が上がらないみたい。
つまり「地獄最強」のお方ではないか!
撮らせていただいた写真を見直しても本当に恐ろしい地獄絵図です。
閻魔をはじめ裁判員たちの手下である鬼、つまり「獄卒(ごくそつ)」たちに髪をワシ掴みにされて鏡の前で生きていた時の罪を暴かれ、裁判員の判決を受け、罪に応じて色々な地獄に振り分けられられます。
裁判を受ける罪人が鏡の前で罪を暴かれる
FinepixS9100「修羅道地獄」…生前に争い事を繰り返していた罪人が落ちます
「阿修羅」と「風神・雷神」との争いに参加させられて何度も繰り返し殺される地獄です。
生き返ってはまた争いに参加させられる…
阿修羅(左)と風神雷神(右)の争いに無理やり参加させられる…
FinepixS9100昔の人は「罪を犯したら地獄に落ちるぞ」と言い伝えで教えられていた…
そのためにこんな「地獄絵」が造られたんでしょうね。
その昔、四国の若者は老人たちによく言われたのは
「女遍路に手を出したら弘法大師の怒りに触れて『無間地獄』に落ちるぞ!」だとか。
昔は「地獄パワー」は絶大だったのでしょうね。
しかし現代はどうか…
「受験地獄」「サラ金地獄」など「現世が地獄」という風潮で、死後にあの世でこの身にふりかかることを想像して怖がる、という余裕なんてないのでは…
かつてシェークスピアが創作した歌劇「テンペスト」で
「ああ、今地獄は空っぽだろう。
地獄の悪魔たちがすべていまここにきているのだから…」
と主役が嘆いたシーンを思い出す。
みなさん、一度地獄の怖さを見直しましょう。
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- 2016/08/31(水) 21:34:11|
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先日の書写山円教寺にて。
壊れかけた灯篭、傘の上に石がびっしりと積み上げられている。
何時から積まれ始めたのだろうか。明治か?江戸時代か?それともそれ以前からか…?
書写山円教寺の石灯篭
FinepixS3Pro Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5これと同じように神社の石鳥居の上に、誰が放り上げたか石が積まれているのもよく見ます。
私の住む地区の神社の石鳥居(高さ15mはあると思う)のテッペンにも10kgくらいはあろうかと思われるデカイ石が乗っかってます。これを放り上げた奴はいつまでも周りに自慢していただろうなぁ。
石を積み上げる…
高野山の奥の院でも杉の切り株にも小石を積み上げているのを見ました。
高野山奥の院にて
FinepixS3Pro TAMRON:AF17-50mm/f2.8 VC神社の鳥居の上に載せるのはアチコチの民間信仰、というか爺さん婆さんから聞いた言い伝えにあるように「神社の鳥居に願い事をして石を放り上げて載ると願いが叶う」ということからきている一面もあるかと思う。
遥か昔から積まれ続けているシステムに参加しようという思いに駆られて…
自分がここに来た、お参りに来たという証…
恐山などの霊場にあるような石を積み上げて穢れを祓い清める思いか…
私は石積を見ると地獄の入り口「賽の河原」を思い出す。
幼くして死んだ子供が地獄の入り口である賽の河原で石を積み上げる。
それを地獄の住人である鬼たち(獄卒)が崩してしまい、子供たちの石積みが際限なく続けられる…
色々な側面が重層して「石積」の風習があるんだろうな…
因みに私はやりません。
だって自分が積んで他の人のが崩れ落ちると、それまで堆積した「人々の願い」も崩れ去ってバチが当たりそうで…
- 2016/08/30(火) 21:32:33|
- 寺巡り
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連休の最終日(8月17日)、神戸を訪れた。
小学校4年生の日帰りバス旅行で行った以来のポートタワーに登った。あれから40年以上…
神戸ポートタワー(40年前の写真のように少しセピア調に弄りました)
SONY:Cybershot DSC-P150今回のカメラはSONYのCybershot DSC-P150。
私のスナップ撮影時によく持ち出す機種。モニターは小さい(1.8型)がスナップ撮影の際は撮った写真をいちいち確認しない主義なのでこれで良し、720万画素の解像度で充分。
タワーの展望室から神戸の港町を見下ろしながらボーっと眺めていた。

ポートタワーから神戸港を臨む
SONY:Cybershot DSC-P150その時、ポートタワー北側に建つ一軒の高層マンションが気になった。
高層マンション
SONY:Cybershot DSC-P150指で丁寧に階層を数えたら35階建てでした。一般的に35階で120mの高さなのでこのポートタワー(108m)よりも高いことになる。ということはマンションの最上階に住んでいる人たちはこのポートタワーを「見下ろしている」ことになる。
山の手を見るとタワーより高そうな高層ビルがいくつもある。
完成した当時は、このタワーより高い建造物は無かったと思う。
山の手を臨む
SONY:Cybershot DSC-P150小学校4年の時「高いなぁ~」と首が痛くなるまで見上げていたタワー
怪獣映画「ガメラ対バルゴン」でこのタワーが壊されるシーンを恐々見ていた思い出が…
神戸の震災の際も踏ん張って残った。
実は私と同じ年(1963年完成)。いつまでもこの地に立ち続けてください。
- 2016/08/29(月) 20:13:43|
- 写真散歩(兵庫県)
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盆休みから映画「男はつらいよ」全48作のDVDを観ています。
中学生の頃からこの映画は好きで、学生服着て観に行っていました(校則で学生服を着る決まり)。
映画館では周りは50歳以上のオヤジばかり…変わった中学生だったなぁ…
当時はあまりよく判らなかったがこやってDVDで観ていると、人生の教訓となる名セリフを寅さん(渥美清)があっちこっちで言っているのに気付きます。

寅さんの甥にあたる、大学受験に悩む満男(吉岡秀隆)との会話。
江戸川土手の草むらに二人座って満男が寅さんに話しかける。
満男 「伯父さん、質問してもいいか?」
寅 「あまり難しいことは聞くなよ!」
満男 「大学へ行くのは何のためかな。」
寅 「決まっているでしょう。これは勉強するためです!」
満男 「じゃ、何のために勉強すんのかな。」
寅 「つまり、あれだよ。ほら、人間長い間生きてりゃいろんなことにぶつかるだろう、なあ?
そんな時に俺みたいに勉強してない奴ってのは、振ったサイコロの出た目で決めるとか、
その時の気分で決めるしかしょうがない。
ところが勉強した奴は、自分の頭できちんと筋道を立てて、『こういく時はどうしたらいいかな?』
と考えることができるんだ。だからみんな大学へ行くんじゃねえか。だろ?」
この会話をもし親鸞が生きて聞いていたら、寅さんに
「あんたのような人の為に阿弥陀如来がいるんだよ」って言うだろうなぁ~
イエス・キリストだったら、
「喜びなさい、あなたのような人の為に『神』はいるのです」と…
満男が恋愛で悩んでいる時
恥ずかしくて恥ずかしくて相手に告白が出来ない満男に対して
寅「俺はなぁ、学問というモノがないから上手くは言えないが、博(満男の父)がいつか俺に
言ってたぞ!自分を醜いと知った人間は、決してもう醜くないって!」
ある場面では
寅「お前は何のために生きてきたんだ!
何?てめえのことを棚にあげてる?当たり前じゃないか!
そうしなきゃこんなこと言えるか!?」
寅さんは親鸞の説く、まさに「悪人」なんでしょうね。
しかも寅さんは「どうしようもない人間」であることをちゃんと理解している。
でも言いたいことがあったらそんなことを気にせずに(棚に上げて)説教する、その人のことを思って。
寅さんが死んだらきっと阿弥陀如来は「しかたないヤツだなぁ連れて行ってやるか」って西方浄土へ導いてくれるんだろうな。
役者を離れて、渥美清自身も名言をいくつか残している。
ある雑誌に書いてあったけど、インタビューで
「俺は人間のいいところを見る。そのほうが面白いよ」
この一言で彼の人生哲学の一端を感じられますね。
「男はつらいよ」
ヘタな人生本や、どれも同じような当たり前の事ばかり書いてる教訓の本を読むより、この映画を楽しく見てたほうがイイかもね…
今日は長く呟いたなぁ。
今からもう1作観て寝よう…
- 2016/08/27(土) 23:04:58|
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吾唯足知(われただ足ることを知る)
京都の龍安寺で有名な蹲(つくばい)。
真ん中の水の溜まる部分は「口」の文字。
写真では見難いですが、中央の「口」文字を中心に、時計回りに禅語の「吾唯足知」と彫られています。

これを龍安寺に寄進した水戸黄門さん(徳川光圀)、中々洒落ていますなぁ。
かつて釈迦が臨終の間際、弟子たちに送った言葉
「汝ら、諸々の苦悩を脱したいと願うなら知足(ちそく:足ることを知る)を観ずるがよい」と…
老子は
「足るを知る者は富む」
紀元前6世紀、「古代ギリシャ七賢人」の一人、政治家のソロンも
「足るを知る者は真の富者にして、貪欲なるものは真の貧者なり」と…
この美徳は洋の東西を問わず思想家や哲学者の説くところなんでしょうね。。。
私と親しくさせていただいている、舞鶴のお寺の御住職も法話で語っていましたが
「欲望を無限に広げず『これで充分』という思いを、少しでも頭の隅に置いておけば人生はより素晴らしくなるでしょう」と…
恥ずかしながら現在「小遣い帳」(パソコンで)をつけています。
50歳を過ぎた現在、自身の「金銭感覚」ってのは一般と比べてどうなんだろうか?とふと考えたりして。。。
でも同僚に「月、いくら位使っているの?」なんて恥ずかしくて訊けない。
実は月にどの位、お金を使っているのか自身も知らないので、はっきりさせるためにやってみようと考えた。
とにかく使った分の領収書(レシート)を残しておき、それをPC(エクセル)で表にまとめてグラフ化する。
そうやって記録に残して、最初は月ごとの使ったお金の推移をグラフで眺めているだけです。
暫くして買い物をしていると、無意識のうちに安い方を選んだり「これって本当に買う必要あるのかな」なんて考えたりして…
先月に比べて、少しでも使ったお金が減っていたら(たとえ1,000円程度でも)心の中で「ヨッシャ!」と叫んだりして…
小市民だなぁ
お釈迦さま、黄門さま。そして老子さん、ソロンさん
あなた達の境地に到達するのはまだまだです…
- 2016/08/25(木) 22:25:35|
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本堂(摩尼殿)では白装束の巡礼者以外にも、背広やドレスを着た人たちでごったがえっていました。
話を聞いていると今から仏前結婚式が始まるようです。
着物を着た新郎新婦が僧侶に続いて本殿に入ります。
突然だったので、こういう時にMFレンズは辛い…
本殿で行われた仏前結婚式巡礼のお婆さんたちは「この暑いのに着物は大変やな~」ってあちこちでヒソヒソ…
お幸せに…
本殿傍のお地蔵さんも笑って見守っていました。
本殿傍に佇むお地蔵さん本殿を出て奥に進んで「食堂(じきどう)」・「常行堂」・「講堂」の、いわゆる「三つの堂」まで来るとなにやら騒がしい。
「エイ!」「ヤア!」と掛け声が三つの堂に響き渡る…
常行堂では、空手や合気道、剣道などの古武道の各種団体が「奉納演武」をやっていました。
常行堂での奉納演武鎖鎌VS木刀の演武を、食堂からご住職が温かく見守っていました。
食堂から観覧するご住職しかし暑かった…
帰りは勿論ロープウェーで下ります…
山上駅から景色を見て休む。
姫路市街地から遠くに淡路島まで望めます。
ロープウェーの山上駅にて夏の終わりの書写山でした。
家に帰った後少し頭痛が…熱中症になりかけたようです…
歳を気にせず歩いて登ったせいか、無理は禁物です。
- 2016/08/23(火) 19:43:17|
- 寺巡り
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西国三十三カ所霊場の27番札所、書写山円行寺。
本日登ってきました。
いつもはロープウェイで途中まで登って、後は徒歩で向かうのですが、今回は全て歩きで。。
重いカメラバッグを担いで約1時間の行程。
参道には西国三十三カ所の本尊のレプリカが参拝者をお迎えしてくれます。
本尊の一つ、千手観音に誰かが付けた数珠。
参道の千手輪観音杉の生えた日の届かない暗い登りの参道から、日の当たる峠に出た場所に居られる如意輪さん、
夏の雲をバックに…
峠に立つ、如意輪観音このお方の前ではいつも疲れが飛んで癒されます。
後は下り道、円教寺本堂まではもう少し。
- 2016/08/21(日) 21:13:38|
- 寺巡り
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車の自動運転化がドンドン進んでいます。
ベンツや日産のある新型車は、バックで駐車する際に自動に設定するとハンドルを離しても勝手に駐車してくれる。
「これからは運転手は、ドライバーと言わずにサポーターか?」なんて戯言が巷で聞こえてきそう。
人間は五感を常に働かせておかないと逆に「退化の一途」を辿っていくのでは?と考えてしまいます。
日露戦争時、旅順攻略に手こずる乃木希典軍を監励しようと児玉源太郎総参謀長が列車で赴く間、列車内で色々世話を焼きすぎる副官を怒鳴りつける。
「軍人は階級が上がるほどモウロクする理由を知っているか!それは身の回りのことを全て他人に任せるからだ。俺は大将になっても自分のことは自分でする!」と。
二十歳そこそこの少尉でも兵舎に戻って椅子に座って足を投げ出すだけで係の兵が長靴を脱がしてくれる。上層部は我が身の出世しか考えず、「将校商売・下士官勝手・兵隊ばかりが国のため」という兵隊のローカルソングがあったそうな…
日露戦争で活躍した、秋山兄弟の兄、秋山好古(陸軍大将)は思うところがあったのだろう、我が子を軍人にはしなかった。
幕末に咸臨丸に乗って渡米した勝海舟が帰国後、江戸城にて幕閣上層部の前で感想を聞かれて
「かの地(アメリカ)では我が国と違い、上に立つ人が利口です」と思わず本音をポンと言ってしまって幕閣の顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまったのは有名なエピソード。
何でも自動になって、人間が全てを「他の者に任せる」ことになると先ほどの軍人のように「怠慢」にならないか…
自動運転になった際に、万が一事故が起きた場合に責任は運転者(運転してなかったら所有者)か?車か?メーカーか?自動運転化の技術ばかり先行して法的な部分の整備や利用する人間側の「意識」が追い付いていないような気が…
高速道路のPAから走る車を見下ろす。
夜の阪神高速京橋PA猛スピードで走る車達を見下ろしながら、近い将来全ての車で運転している人がよそ見をし、手を放しているようになることを考えると背筋が寒くなる…
俺考えすぎなのかな…
- 2016/08/19(金) 21:46:49|
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先日(8月14日)の明石海峡大橋での写真散歩にて。
異人館(移情閣)から外を見ていると、10名程度のカメラマンたちが固まって三脚の準備をしているのが見えました。中にはカメラを3台持って場所取りをしているプロらしきカメラマンもいる。
移情閣から外を覗く
FinepixS3Pro Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5気になって外に出た時にカメラマンの一人に「何を狙っているのですか?」と訊いてみると「飛鳥Ⅱ」と一言だけ返事が。そしてそのカメラマンが指さす方向の遥か先、南の方角から一隻の大型の客船がこっちに向かっているのが見える。
その場でスマホで調べると、国内外をクルーズする日本国籍船最大の客船らしい。
鉄道マニアを「鉄ちゃん」なんて言いますが、客船マニアは「客ちゃん」か…なんて戯言を考えながらしばらく待つとだんだん近づいてきて、明石大橋をくぐって大阪の方向に行ってしまいました。

明石大橋をくぐる「飛鳥Ⅱ」
FinepixS3Pro Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5
一斉に動きが慌ただしくなるカメラマン達
FinepixS3Pro Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5しかしデカイなぁ。
家に帰って色々調べると、ロイヤルスイートが一泊で20万円以上の豪華客船らしい。
そんな豪華客船で日本一周や海外までクルーズしたら費用が合計いくら掛かることやら…
まさに「海のトワイライトエクスプレス」と言っていいかも。

大阪方面へ向かう「飛鳥Ⅱ」
FinepixS3Pro Nikon:AiNikkor35-70mmf3.5
トワイライトエクスプレスか…
そう考えると「撮り鉄」ならぬ「撮り客船」がいる訳だ。
それと客船を撮るマニアって巷でなんて呼ばれているのだろうか…
「撮り客」?「客船ちゃん」?
ネットで調べてもあまりヒットしません。
誰か命名して…
- 2016/08/17(水) 20:51:53|
- 写真散歩(兵庫県)
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盆休みが終わって体重計を見るとやはり増えていた。
写真散歩や盆の法要以外は殆ど家に籠っていたので当然か…
現代は栄養事情が良いためか、家で運動せずにゴロゴロしているだけでドンドン増えていく体重。
幕末の栄養事情は現在と比べられないほど酷かったと言われている。
佐賀藩の大隈重信(後の内閣総理大臣)は中級武士の出なので一般の武士と比べて良かったはずですが、それでも主食はサツマイモでおかずは干した魚の類。でもその骨は決して捨てず塩漬けにして後日、干した大根の葉などと煮て食べたみたい。維新後、新政府が呼んだドイツのベルツ博士に問診を受けたとき、通訳は「新政府の高官がこれでは…日本の恥」と恥ずかしくてこれを訳しなかったという。
ベルツ博士も恐ろしいばかりの粗食に耐えてきた人々に驚き、日本人は「内臓事情」がちがうのでは?と思ったらしい。
新選組の栄養事情まだ良いほうで、幕府の医師・松本良順から残飯で豚を飼うことを勧められ、屯所に豚小屋を建てたと記録が。残飯が出るくらいだから食事には困っていなかったと思う。だから毎日のように尊王の志士たちを追い掛けまわして、刀でぶった切っていくことが出来たんだろうなぁ。
栄養事情は日本だけではなく西洋もそうであって、音楽家のシューベルトは身長154㎝、ベートーベンも157㎝だったそうだ。寒冷地でも栽培できるジャガイモが植民地からやってきて普及するまではヨーロッパも似たような感じだったのか…
そんなことを並べて、自分の体重のことを現代の栄養事情のせいにしているが、結局は自分の怠慢なんだろうな…
尾道の商店街、銭湯を改築したレトロな茶屋に置いてあった古い体重計。
レトロな体重計(今は壊れて乗れない、壊れてなくても怖くて乗れない)
Cybershot DSC-P150久しぶりにジョギングでも再開しようかな
- 2016/08/16(火) 19:08:12|
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