今まで撮り溜めた写真をいくつかアップします。
「東大寺早朝燃える枝垂れ桜に鹿」
FinepixS3Pro Nikon:AF18-55mmVR
ISO200 F5.6 1/500東大寺の早朝、朝日に照らされて燃えるように輝く枝垂れ桜の下に1匹の鹿が…
三脚設置する暇もなく、慌てて必死で手持ちで撮った一枚。
私のお気に入りの一枚。
「瑞光差す」
FinepixS3Pro TAMRON:AF17-50mm/f2.8 VC
ISO200 F8 1/60撮影は今年の1月。まだ若干雪の残る書写山円教寺の「瑞光院」にて。
寒いピーンと張りつめた空気の中暖かい西日が差し始め、それが神々しくまさに「瑞光(仏教でいう吉兆を示すめでたい光)」に思えて思わず撮った一枚です。
しかし自分の撮りためた写真を見直すとやっぱり寺院関係の写真が多いな…
「初詣準備を終えた神社」
FinepixS3Pro Nikon:AF55-200mmVR
ISO200 F11 1/45来年はそろそろ次の一眼レフを考えています。
現在のFinepixS3Proの弾き出す色合いが大好きですが、もう10年以上前のモデルなので、何時故障してもおかしくない状態。そろそろ考えなくては…
では来年もよろしくお願いします。
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- 2016/12/29(木) 12:28:01|
- 独り言
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クリスマスの日に墓参りに行って来た。
恐らく今年最後になるだろうな。
霊園の周辺は公園になっており、墓参りのあと小高い丘の上で暫く休んでいました。

石のモニュメントから覗く姫路城


たまたまワンショルダーにSONY Cybershot DSC-P150を入れていたので、撮影。
たった720万画素ですが今日のように晴れた環境下ではまだまだ使えます。

秋や冬の空って高く感じるとよく言われています。元々空の高さなんて低くなったり高くなったりすることはありえないので、秋や冬は空が澄み切って高く感じるというのが正解だと思う。
つまり『秋や冬は夏に比べ気温が低く、対流活動も弱いことによって空気中の水蒸気やちりなどが少なく、このため夏の空より澄んで見える』とうことらしい(どっかのサイトに書いていた)。
今年はこれで写真撮影は終わりかな…
- 2016/12/25(日) 13:16:29|
- 写真散歩(姫路市内)
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新世界へやってきた。
20数年ぶりか…

新世界でのスナップはすべてSONYのCybershot DSC-P150で

新世界ゲートへ向かう橋の上にて
おじさん、ワンちゃんにちゃんとリードを付けないといけんません


新世界の入り口

ジャンジャン横丁に突入します

昭和な喫茶店「New World」

射的場

串カツ屋に入ります、行列ができるような有名店はあえて避け、空いている店に入る。
「ジャン横定食」これで500円。ビールを付けて1,000円でおつりが来ます。

その後周辺をブラブラ

「まいど!」「おおきに」「また」


やはり通天閣周辺は賑やかです

以前は「スナップは苦手です」なんて言っていましたが、最近は人目を気にせずバシバシ撮っている自分に気付く。
新世界から天王寺駅に歩いて向かう
途中で見たラブホテル。
ホテルの屋上に大阪城?が… いかにも大阪

今まで何故か大阪を敬遠していた気がします。
でもスナップ的には面白い被写体が多いことに気付いたのでまた機会があったら訪れてみたいと思う。
- 2016/12/22(木) 23:48:55|
- 写真散歩(兵庫県外)
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四天王寺の地蔵堂にて
並ぶ地蔵たち
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm/f1.8地蔵堂には鎌倉時代の「戦勝地蔵」と「融通地蔵」が祀られていますが、明治以降この辺りの区画整備などで、あるいは各家で祀られていたが世話をする人が居なくなっため「無縁」となった地蔵さんたちがここに集められています。
地蔵好きな私にとってまさにワンダーランド。
融通地蔵の前でお参りしていると、『四天王寺』と染められた袢纏を着たオジサンが融通地蔵の縁起を教えてくれました。私の住んでいる地域の地蔵やその特徴を話しているうちに「あんたよう知ってますな~」とおじさんも驚いて、ここに祀られている地蔵さんたちの縁起やご利益などを紹介してくれました。
「日限地蔵」
日限地蔵
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm期限を決めてお祈りすると願いが叶うとか…縁切りや縁結びにもご利益があるらしい。
こじんまりした石の廟の中に居られます。中を覗くと口に紅を付けた可愛いお地蔵さんが居られました。
ズームレンズ持ってくりゃ良かったか…
中を覗く
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm「三界萬霊地蔵」…初めて聞きました
あらゆる世界に出没して私たちを救って下さるお方です。頭が割れて痛々しいですが、凛とした表情にグッときます。
三界萬霊地蔵
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm「とげ抜き地蔵」
京都では有名なお方がいらっしゃいますが、ここのとげ抜きさんは顎を上げてチョイとぼけたような表情が微笑ましい。
とげ抜き地蔵(少しピンボケ)
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm結局おじさんと「地蔵談義」で30分も過ごしてしまった…
私は勉強になったが、おじさん自分の仕事をほったらかして大丈夫だったのだろうか…
誰かが供えた花(綺麗だったので思わずポチリ)
FinepixS3Pro Nikon:AF50mmさあこれから四天王寺を後にして、通天閣のある新世界へ向かいます…
四天王寺を出る前に再び極楽門で転法輪を回しました。
極楽門にて
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm<続く>
- 2016/12/21(水) 19:45:35|
- 寺巡り
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本日休みをもらって大阪をぶらりしてきました。
まずは四天王寺。
四天王寺の極楽門(西門)には転法輪が備え付けられており、参拝に来た人はそれを右方向に回して祈りを捧げる。仏法の車輪を転がすという意味もあり、チベットの「マニ車」や京都の六波羅蜜寺や奈良東大寺二月堂入り口にある「一願石」も同じような意味があるんだろうかな…

極楽門の転法輪
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm/f1.8
地蔵堂のそばにもある転法輪
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm/f1.8西側の入口より極楽門を臨む
極楽門
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm/f1.8今回のカメラはFinepixS3Proに二つの古い単焦点レンズ。
そしてスナップ用にSONY Cybershot DSC-P150。
今日のお供のカメラたち
SAMSUNG galaxyS5 SC-04F 内臓カメラ実は四天王寺は初めて。奈良や京都の寺にはしょっちゅう行っていますが、大阪のお寺は実はほとんど行っていない。
以前からこの四天王寺には何度も来ようとして考えてたのですが中々機会がなく、本日会社から休みを貰ってようやくやってきた次第です。今日は生憎の曇天、時より小雨が降っていましたが傘を買うほどでもなかった。
ビルの中の弘法大師
修行弘法大師像
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm/f1.8あべのハルカスと五重塔が並んでいる。
確かにビルにほうが何倍も高く大きいのですが、カッコよさというのであれば当然五重塔
あべのハルカスと五重塔
FinepixS3Pro SIGMA:AF28mm/f1.8 ASFⅡ
五重塔前の香炉
FinepixS3Pro Nikon:AF50mm/f1.8平日だったせいか、今日の四天王寺はハングル語や広東語を話す海外からの観光客が数組程度で、それ以外殆どが地元の方のようで、近所のオジサンやオバサンたちがお参りしにきて「久しぶりやなァ」とお互い声を掛け合うようなアットホームなお寺という印象でした。
次に四天王寺に来た時は是非訪れたかった「地蔵堂」に向かいます
<続く>
- 2016/12/20(火) 18:15:29|
- 寺巡り
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「見えすぎちゃって困るの」
この唄知っている人もう歳ね…
実は3年近く前に目の手術をしました、病名は「閉塞隅角緑内障」というらしい。
私の場合、両目とも角膜の内側にある水晶体が他の人と比べ大きく、眼球の中にある房水が外にうまく排出出来なくなり、眼圧が上がり、最悪失明する危険性があったとのこと。
診断されてから一週間後には目の手術を受けました。要は水晶体を砕いて取り出し、そのあとにガラス製の水晶体を入れるというもの。片目をやってから更に一週間後、もう片目という感じで一気にやっちゃいました。
人工の水晶体のため、基本的に視力は変わらないという事。
だから先生曰く「視力が落ち着いて新しくメガネを作り替えたら一生ものでしょうね」と…
実際、水晶体を交換するまで両目の視力が1.0~1.2だったのに交換後は両目は常に1.5をキープ。
手術後、今は10か月ごとに眼科で定期検査を行っていおり、今日が検査の日。

今日の検査も両目1.5、眼圧も正常。
老眼には変わりはなく、近くの物は相変わらず見えにくいですが、車のナビくらいの距離ならはっきり見えるようになりました。以前は運転しながらナビ見るためにいちいち老眼かけてたりして運転が怖かった。
アフリカの人まではいきませんが、遠くのものがよく見えるようになりました。
手術自体は本当に怖かった(目を開けたまま手術する)けど、やってて良かったと後になってそう思う。
先生曰く「次の検査は更に伸ばして12か月後にしましょう」と…
カレンダーに書き込まねば…
って来年のカレンダーまだ買っていないし
とりあえずスマホのスケジュール表に入れておこう
- 2016/12/13(火) 22:23:24|
- 日記
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「俺は海賊王になる!」が決め台詞の漫画「ONE PIECE」の単行本、次男が小学生の時からコンプリートし続けています。

ふと思うのは「海賊」のイメージって何だろう…
海に乗り出し、周辺国あるいは航行中の船を襲って財宝を強奪するのが実態。
しかし現在はそんな「ダーティー」な部分より、この漫画のような勇ましさ、颯爽としたカッチョ良いイメージが強いです。
だって現在のイギリス王家の先祖は海賊で、エリザベス女王自身もそれを認めており恥としていないところがあります。
戦国時代の日本、伊勢湾を根城にしていた海賊の九鬼(くき)一族。
織田信長の傘下に入り、大阪湾で毛利水軍を打ち砕いて信長に認められ一気に勢力を拡大。その後家督争いなどがあり、陸に上がって江戸時代は丹波の領主になり現代まで家系は続いている。どっかの本で読んだが、現在の九鬼一族の当主は「先祖は海賊でしたわい」と誇らしげに語っていたとか。
でもほとんどの戦国武将の出所は「どこの馬の骨かわからない」といっていい。
天下を取った豊臣秀吉自身も貧しい農民の子であったし…
逆に悪いイメージを後世につけられた武将もいた。そのなかで特に可哀そうなのは秀吉の家老を務めた蜂須賀小六(はちすかころく)だろう。
江戸時代に書かれた「真書太閤記」や「絵本太閤記」ではなんとコソ泥の頭目であったと書かれれている。
秀吉が少年時代、ある橋で昼寝をしていた時にコソ泥だった小六が手下を引き連れて歩いていて、秀吉の足を踏んでしまった縁で小六の手下となり、その夜のうちに豪商の家に秀吉の手引きで泥棒をしに入ると書かれている。
そのようなダーティーのイメージが後世まで蜂須賀家に付きまとう。
明治維新後、侯爵となったた蜂須賀家。明治天皇と同席の際、明治帝が中座された。蜂須賀侯爵が明治帝の机をみると、自分のお気に入りの煙草がある。一本頂戴して火をつけたがもう一本欲しくなり何本かポケットに入れた。まもなく部屋に帰ってきた明治帝が机の上の煙草入れの様子が変わっているのに気付き「蜂須賀、先祖の血は争えんのう」とユーモアたっぷりに言ったそうな。
明治天皇にまで植え付けられたコソ泥のイメージを払拭するために蜂須賀家は後年、当時の歴史学者の渡辺世祐博士に家蔵の古文書をあげて提供し、「蜂須賀小六正勝伝記」を出版して小六は「イイ人」というイメージを世間に知らしめるために躍起になっていたそうだ。
本来子孫というものは先祖に対して責任を持つ必要なんてまるでない話ですよね。
そんな感じで戦国武将の多くは出所の判らない者ばかり…
私の場合は…
親の実家の寺には家系図があるとかないとか聞いたことはありますが、やはり知らないほうが良いですよね
- 2016/12/10(土) 21:49:17|
- 歴史
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昨日の奈良歩きに、一眼のFinepixS3Pro以外にコンデジのFinepix6800zもカバンに入れて持ち歩いていました。
時々スナップ的に気になる被写体があったら適当に撮っていました。
今では変わった形(縦型)のカメラなので、構えていると他のカメラマンの視線がこっちに向いていると感じることがしばしば。
現在私が所有しているデジタルカメラで一番古い機種(2001年製)で有効画素数330万画素。
こんなロースペックのカメラを使っているなんて私くらいか…
春日大社の境内を出て高畑地区に入ったところ

興福寺横の地蔵たち
わざと陰陽の差が激しい被写体を選んだりして

奈良公園で木陰に集まる鹿の群れ

興福寺周辺で唯一のモミジ

晩秋の空

透き通るような空の青さはFinepixの色…

まだまだ使えるなぁこのオールドコンデジ
充電満タン状態でも2週間で放置しただけで残量が無くなる
メモリー(スマートメディア)の規格で撮影枚数が最大50枚
高感度がISO400まで
などと手間がかかりますし、そろそろ夜間でもキレイに撮れるサブカメラが欲しいと思ったりしますが、こいつが壊れまでは使い倒します。
- 2016/12/08(木) 22:48:01|
- カメラ
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本日奈良へ行ってきました
春日大社から高畑地区まで歩いて奈良写真美術館へ。
まずは春日大社。
奈良の東大寺にはもう何十回も行って来たのに、隣接する春日大社には恥ずかしながら行ったことが無かった。
今年は第60次式年造替が終り、朱色の明るい本殿を是非見たくて行ってきました。
中門・御廊

苔むした石灯篭

居並ぶ灯篭

早めに着いたのでまだ拝観者は少なかった


藤棚は来年の春まで待たないと…

その後高畑地区の奈良写真美術館へ歩いて向かう。
春日大社の「おん祭り」をテーマに写した入江泰吉の写真展を鑑賞。
その後美術館のワークショップで入江の写真集をまた買ってしまった…
ここに来る度に買ってしまうんだな…

もう何冊目だろうか…
家に帰ると万歩計が15,000歩を超えていた。
明日はきっと足が痛くなるだろうな…
- 2016/12/07(水) 21:11:40|
- 見仏クラブ
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先日のブログで「見えないところで平成の職人たちが頑張ったんだと思う(と決め台詞を吐く)」なんて書きました。
姫路城天守閣の内部は、今回の「平成の大修理」で見た目にはほとんど手をかけていないようですが、天守閣内の耐震工事などによる大幅な補強、傷んでいる個所の復元など大規模な修復だった。
「見えないところにこそ手をかける」
どこかで聞いた宮大工のセリフです。
明治6年、当時明治政府の事実上トップである大久保利通。
「征韓論」で同郷である西郷隆盛と争い、負けた西郷は彼の派閥とともに政府に辞職を出し、鹿児島県(薩摩)に帰ってしまう。
大久保はこの政争で疲れて京都で休養を取ることに。かつて幕末に尊王攘夷を叫んで活躍した京都で羽を伸ばそうとした大久保。
嵐山で船を出して遊んでいると、嵐山の山は荒れ放題、木は倒れてもそのままだし護岸工事もいたんでいることに気付く。自分が京都で活躍していた頃は美しい嵐山だったのにたった6年で変わってしまうとは…
大久保はすぐ土地の有力者を呼び出してなぜこんなに荒れ果てたんだと訳を訊いたら「昔の幕府は偉いものでした。お金を出してこの嵐山の景色が悪くならないように保存してきたのです。絶えずそのために人が雇われて働いてきれいにしておったわけです。それが新政府になって、そういう人はお金がもらえなくなったので山に入らなくなって荒れてしまったのです」と。
大久保は本当だろうかと思って後に東京に帰った後、幕臣だった勝海舟に尋ねてみたら「そうなんだ、幕府は目に見えないところにお金を出してきた。政府とはそうあるべきなんだよ。新政府がそれをやらないのはおかしい」と説教されたそうな。
このとき大久保は「見えないところにこそ手をかける」の意義に気付いたことだろう…
天守閣を支える「東大柱」。
FinepixS3Pro TAMRON:AF17-50mm/f2.8 VC修理でアチコチに手を加えているとは思えないほど何も変わっていない
平成の職人たちの仕事っぷりが伝わってきました。
- 2016/12/05(月) 22:20:52|
- 歴史
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