武家屋敷資料館に入ります
芝辻平左衛門というお方の屋敷をそのまま資料館として現在まで残しているそうな
入ると奥から案内役のおばさんがすぐにやってきて色々説明してくれます。
広間には立派な雛人形が飾ってあります。

「お雛さんの時期に街道沿いのお家にお願いしてお雛さんを飾ってもらったのです、70軒くらいだったかな?まだ飾ってくれている家があったのですね」とおばさん。龍野を訪れた人に少しでも華やかになってもらおうという地元の心尽くしらしいです。
確かここに来る街道で、雛人形を飾っている家や店をいくつか見かけました。
たしか店の奥に雛人形を飾っている甘酒のお店があったので写真を撮ったところでした。

そして気になったのが梅の花を水を張った「日清焼きそばUFO」の空容器(?)に入れてあちこちに飾っている風景

気になっておばさんに尋ねると
「この屋敷の塀に梅の木があったでしょう、そこに蜜を狙って沢山の鳥が止まるんです。すると花や蕾が下に落ちで可哀そうになるんです、こうやって水を張った容器に入れると綺麗で部屋が華やかになるし、蕾なんか花が開くときがあるんですよ」というこです。
ほのかに梅に花の香りがしておばさんの心尽くしにホットしました。
中庭

この資料館の隣接する龍野小学校の子供たちの声が遠くから聞こえる、休憩時間に校庭で遊んでいるのか…
投句箱があった

一句捻ろうかと思ったが俳句のセンスがあまりないので辞めました…
しょうもない「トーク」は得意ですが…
資料館の塀にはおばさんの言っていた梅の木があった
道を挟んで小学校

梅の香と
童の声が
ほのかかな
自分で捻って意味解らん、投句しなくて良かった…
街道を通って帰りましょう
続く
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- 2017/03/31(金) 19:37:59|
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資料館の奥に進むとまず「試験・研究室」の表示が目に入る
かつてここで醤油の研究が行われていたんでしょうね
フラスコや試験管、ビーカーなどの研究・試験器材が残されており、私にとってはまさにフォトジェニックな空間だ
照明に照らされたガラス管
イイ感じじゃないですか~ 資料館でのベストショットと思う

並ぶ試験管
望遠レンズ(55-200㎜)に付け替えて撮る


線の切れた電話機
ワザと露出補正せずに白トビさせた、この雰囲気の方が個人的には好きかな?

結局この部屋だけで20分ほど撮影に費やしていた
続いて製造工程の部屋に入る
桶に日が差していた

年季が入ったモノばかりで見ていて楽しいです



イイですね~うすくち醤油資料館
実はこれだけ楽しめて入場料はなんと10円!
入館者との「ご縁」を大事にしたいとのことでこの価格設定らしい
うすくち醤油資料館、また近いうちに訪れてみたい
うすくち醤油資料館(左のレンガ造りの建物)次にむかうは「武家屋敷資料館」です
続く
- 2017/03/30(木) 22:11:32|
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龍野市にある古い町並みを歩いてきました
関西人にはおなじみのヒガシマル醤油
その歴史を後世に伝えるために、昭和54年に元々の本社建物を利用して開館した「うすくち醤油資料館」
レトロな窓から外を見る

独特な鍵の造形だ


どうやって鍵を開け閉めするのかやってみたくなったが職員さんがいたのでやめました(笑)
ボイラー室の蓋

無駄のない機能重視の造形にプラスして錆びがあったら私の大好物

更に奥に進みます(続く)
- 2017/03/29(水) 14:02:37|
- 写真散歩(兵庫県)
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生矢(いくや)神社
創建は古く、神功皇后(321年-389年)が新羅遠征の際(362年)、戦勝を祈願して放った三本の矢のうちの一本が落ちたと伝承があります。出雲系の勢力が南下してこの地に治めたと言われており、祭神も大国主命です。

お社を横から見ると出雲系の神社らしく、拝殿から本殿に向かうほどに高くなっています。
いかにも「大社造り」と呼ぶにふさわしい造りですね
35-70㎜ではフレームが収まり切れず、本殿からかなり下がらないと全てが収まり切れない、広角レンズのほうが良かったか…
注連縄の捩じる向きも通常の神社とは反対だ、まさに出雲系の神社らしい


拝殿から鳥居の方向を臨む
わざと露出補正で拝殿内を暗くしたりして

F8以上に絞って撮った狛犬、表面がリアルに撮れています
向うの景色のボケはべちゃっとしてあまり綺麗じゃないが…でも画質が気に入っているので「あばたもエクボ」、本来はスタジオスナップを前提に設計されたプロ用レンズだと聞くのでボケなんて気にしないほうがイイか…

やはりこのレンズ、イイわァ~
40年前の高級ズームレンズだけど倍率を欲張っていないからか、最近の安価なズームレンズと比べても遥かにリアルに撮れますね
今度はRAWでこのレンズの潜在能力をもっと引き出してやろうと思う
その後家に帰ってすぐ昼寝
カミさんから「忙しい男やなァ」と飽きられてしまったわい
- 2017/03/28(火) 21:37:35|
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一旦家に帰って昼飯
その後レンズをニコンのAiオールドMFレンズを装着してまた出かけます(元気やなァ)
NIKON D7000 + AiNikkor35-70mmf3.5歩いて20分位にある、温室植物園です
久々に「Mモード」で撮ってやろうといきり立って温室の中に入りましたが、その時に思い出したがこのレンズは「寄れないレンズ」として有名だった…1.5mくらい離れないとシャキッとした画が撮れないこのレンズ、温室の中で狭い通路の環境下で昔の勘を頼りに、シャッタースピード・絞りなど設定を色々変えながら撮りました
う~ん、どこにピントが合っているんだか…


これはカトレアか?

やはり花を撮るならマクロレンズが欲しい
このレンズはマイナーチェンジ後はAi-S化と同時にマクロ機能が付いたと聞きます
温室天井の空調機のダクトを撮る
距離がある、そして特に無機質な被写体にはこのレンズは性能を発揮しますね
送風アルミダクトの表面のくすんだ質感がイイ感じに撮れているように思うんだけどな

ところでこの温室に入っていつも思うのだけど「白雪姫と七人のこびと」の置物がイカしています
こびとはまあイイとして

この白雪姫の表情が何ともいえない…

お姫様は疲れているのだろうか…
多分職員さんが塗りなおしているだろうと思いますが、いつも気になります…
しかしマニュアル撮影は楽しい
失敗作は多いけどデジタルだから失敗はまったく気にしません
温室植物園を出て、最後に神社へ向かいました
- 2017/03/27(月) 21:39:31|
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姫路文学館を出て「千姫の小道」を通って姫路城北の「シロトピア公園」へ向かいます
千姫の小道は姫路城西側の堀と船場川の間にある遊歩道で、川と堀に挟まれた狭い道です
観光客は殆ど通らず、地元の人たちの生活道や散歩道となっています
白い自転車は私のクロスバイクお堀に沿って流れる船場川は、江戸時代は港から材木などの資材を城下まで運ぶ海運の役目もあり、川沿いにはかつて材木商の商家や船着き場が川沿いにあったそうな。そして西国街道と交わる場所だったので当時はかなり賑わったと聞きます
現在はその川沿いに並ぶ民家がその雰囲気を残している感じ

千姫の小道を北上してシロトピア公園に着く
いつもはここで将棋を差している近所のお爺さんたちの対局を見ているんですが、このときは将棋のお方たちは誰もいなかった
シロトピア公園は、鉄棒や裸足で歩く足つぼ小道など健康遊具や花壇、広大な芝生広場など、市民の憩いの場となっています
姫路城の南側は観光客たちでごった返して騒がしいですが、北側のこの辺りはホント静かでノンビリできます

一人ラジオ体操

朝は曇天でしたが、少しずつ陽が差してきて温かくなってきました。
でも桜はまだまだといったところか…

早く桜が撮りたい…
- 2017/03/26(日) 11:02:45|
- 写真散歩(姫路市内)
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春の陽気に誘われて自転車でブラブラ
姫路城の西にある姫路文学館にて

安藤忠雄の設計によるモダンな建物

平成3年に建てられ、27年に内部の改装工事が始まり、去年の暮れに終了。
改装工事後初めて訪れます。
棟の間には水の流れが造られており静寂感が半端ない

私が好きな司馬遼太郎の資料館もあり、私的には結構長居ができる場所です。
スロープから姫路城を臨む

モダンな建物の横には日本建築が

「望郷亭」と言って、大正年間に姫路の実業家の別邸がそのまま文化財として残されているそうな
見学が自由なので早速入ってみることに。
廊下が続きます

懐かしい窓の鍵(くるくる回すタイプ)だ
ついついシャッターを押してしまいます

茶室

和室
変わった形の照明だな

広間
一時期は結婚披露宴の会場として利用されていた時期もあったそうな

私が望郷亭に入る時に巡回の警備員の人が丁度出るところで入れ違い。
玄関を見ると靴が私だけ、つまりこの広い屋敷では私一人…
心細くなって長時間は居られませんでした…
次に姫路城北側の公園へ向かいます
- 2017/03/25(土) 21:47:51|
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「京都は好きか?」と訊かれると戸惑うかも…
京都のお寺は大好きで、私のお気に入りの仏像が沢山ありますが、京都の街中に立っていると何か落ち着かない
どちらかというと奈良の方が私は落ち着く
京都出身の友人と会話していると地元を大変大事にしており、いかにも「京都ブランド」って「誇り」が会話の端々に感じられるのは気のせいだろうか…
でも「京都ブランド」ってやっぱり凄いと正直思う。だって約800年も日本の中心であったし、明治維新の際「江戸」から「東京」というように京都に遠慮がちに「東の京」と名が変わった感じがするし…

「京モノの口うるささ」ってやはりあるのだと思う。
源平の争いのさなか、まず木曽義仲が京都を制圧。しかしその兵どもが強姦、略奪、放火など乱暴の限りをつくしたので天下の信用を失った。
次に頼朝の兵を従えて入京した義経は軍紀が極めて厳粛でそいういう沙汰は皆無であったらしいと当時の公卿の日記が残っている、足利尊氏もそうであった。
京都は世論形成の根源地でもあったと思います。
織田信長が上洛した際、かれもそういう機敏をよく理解しており、兵士の乱暴を戒め、市民にわずかな迷惑をかけた足軽と捕らえ樹につないで晒し者にしたあと首を刎ねたと記録がある。
徳川家康のみはその辺りを理解していたためか京都と絶縁して江戸で政権を立てた。
京モノはやはり「よそ者」は好きになれないってことなのか…
幕末に祇園の人たちが新選組を「みぶろ(壬生浪)モノ」といって嫌悪していたのは、祇園で毎晩会合と称して金を落としてくれていた気前の良い長州の志士たちを斬りまくったせいでもあるし、所詮新選組は「垣の外のひと」、つまりイチゲンさん以下だったんだろうな。だから禁門の変以降、京に残った長州の志士たちを朝敵となっても新選組などから匿ったりした。
ある歴史家は「京都を敵に回すと、とんでもないことになる」って言っていましたがまさにそのとおりか…
そういうことがあってか、京都に来るたびになぜか身構えてしまう私…
本当は田舎者だからかな…(笑)
- 2017/03/22(水) 20:47:34|
- 歴史
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本日、地元の自治会主催のボーリング大会に行ってきました
私は主催側のスポーツ担当の役員ですが、私の住む町の出場者から一名欠員が出たため、代わりに選手として参加することに。

10年以上ボーリングの球を転がしたことなかったぞ…
結果は2フレームゲームして112点/102点の合計214点
お恥ずかしい限りです。

スコア表には「ストライク」や「スペア」などが記載されていますが前半は「ガーター」や「―」のオンパレード
普段は使わない筋肉を使ったので、明日はどっかが痛くなるだろうな…
- 2017/03/19(日) 15:56:53|
- 日記
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私が務める会社で早期退職(去年から募集制度が始まった)される人が次々に退職されていく。
「新しいことにチャレンジしたい」と考えて辞めていく人もおり、暗い気持ちや不安が先に出て退職されるひとは概ね少ないように思います。私と同じ現場の50歳になる人も「大型二種免許持っているのでバスの運転手でも目指そうかな」なんて言っていた。これから多くの人が第二の人生を目指して頑張っていくんだろうな…
何歳になっても「チャレンジ」って大事なことなんでしょうね
ある仏教雑誌を読んでいて気になる文章が…
鎌倉のある名刹の老師は、自分の死期が近いことを悟り、床に伏しながら弟子たちに告げた
「英語のテキストとそのテープを買ってきてくれ」
弟子たちは「老師、今から英語を習うのですか?」
老師「お前たちの言いたいことはよくわかる。どうだ、今日は日曜日だから鎌倉駅界隈は大勢の人で賑わっているはずじゃ、その中には外人の人もたくさんいるはず。鎌倉でさえそのような状況だから、あの世にはもっと外人さんがいるに違いない。あの世でも布教するためには英語が必要じゃ」と言ったそうな…
「大法輪」2010年12月号より詩人のサミュエル・ウルマンも
時には二十歳の青年よりも
六十歳の人に青春がある
人は歳を重ねただけでは老いない
理想を失ったとき初めて老いる
と詩にしたためた
NIKON D7000 TAMRON:AF17-50mm/f2.8 VC会社に残って今の生活を続けても、新しい次の人生を目指しても自分なりの輝いた人生を送りたいものだなァ
珍しくまじめな日記になったわい…
- 2017/03/18(土) 23:37:39|
- 仏教
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