今日は長いマニアックな独り言になります
最近「障害者雇用」という言葉をよく聞きます
指導する立場の多くの官庁自体が、それを守らずに指摘されるニュースが流れました
実は私の職場にも数名障害者(耳が聞こえない人)が働いていますが、彼らは彼らなりに頑張って務めてくれています
日本人の特殊な考え方の一つとして、体に障害を持つ人も同等に扱うどころか、「特殊な能力の持ち主」として崇めていた部分もあった
確かに各村々に住む呪術師や預言者は盲目の者も多かったらしく、体が不自由な分健常な部分の能力が人と比べて長けていると言われても納得です
神様もそうであった
まずは「恵比寿さん」
そもそも「エビス」という言葉は、まつろわぬ者として、朝廷から忌み嫌われていた「蝦夷(えみし)」からきた言葉であり、漢表記の「戎」や「夷」は本来、異民族を卑しんで使う言葉だった。
各地には漁師の網に何度もかかる海底の石を祀る「えびす社」がいくつもあり、その石は漁師にとって厄介なのもでしかない、しかしだからこそエビスなのです。波間に浮かぶ水死体を見つけると「エビスさまだ!」と崇めてきたと言われている。
そしてエビスは足が不自由、あるいは耳が遠い神様であること。大阪の今宮戎(いまみやえびす)では、エビスは耳が悪いからと、本殿の裏に回って戸をたたいたり、大声で叫ぶ祈祷法があるという。西宮えびすで祀られている蛭子(ひるこ)もイザナミとイザナギが国生みの手順を間違えて生まれた醜い神で、足腰が立たず、蛭のように這うだけだったので海に捨てられた可哀そうな神様だった
次の「田の神」
漁民にはエビス、農民には田の神
田の神はエビスと同様に体が不自由な神として崇めてきた地域が多いことに驚きます
能登のある地域では、田の神は目が見えないことから、農家の主人は叫ぶようにお祈りをする。中国地方では、田の神は片足の神だからと、供物として片足だけの草鞋(わらじ)を吊るします。案山子(かかし)もまた久延毘古(くえびこ)名で登場する神話では田の中で足一本で立つ身動きのできない神様でした。
入れる写真が無かったので適当にお地蔵さんの写真しかし日本は本当に凄い国だ…
一見美しくないもの、今はやりの「生産性のない」と言っている人たちにとって「否定的な存在」からも頼るべき価値を見出している…
そういう「共生社会」という考えが、神話の時代から根付いているだろうな
日本の良さを再発見
スポンサーサイト
- 2018/10/31(水) 19:44:07|
- 独り言
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
先日亡くなった女優の樹木希林さん
彼女のTVドキュメンタリー(ビデオで録画していた)を見てあるシーンに釘付けになりました
NHKの「クローズアップ現代:秘話樹木希林さん直筆の手紙」から
長野県のある山での成人式。
式では25人の新成人一人ひとりに、人生のアドバイスとして自筆の手紙を渡したのだった。
その手紙の一つの文章に釘付けになった
現在介護福祉士に携わっている若者に送った手紙の文章
「…明治天皇の歌だけど 器にしたがいながら 岩ヶ根も通すは水の力なり…水ってのはどんな形の器にも沿うのに、雨だれのポツンポツンで岩や鉄にも穴をあけるでしょ。どんな人間にも添えるけど、こりゃむずかしい…」
私はこの歌知っていました…

明治天皇がうたった原文は
器には
従ひながら
いはがねもとほす
水の力なりけり
です
難しい歌だ…
私なりに解釈すると
水はどんな形の器にも沿うのに、雨だれはポツンポツンと落ちながらも岩や鋼(はがね)に穴を開ける力を持っている。その力に学びなさいということか…
つまり樹木希林さんは、その介護福祉士の新成人に「どんな人にも添えられるような柔らかさ(優しさ)と自分の信じ切った道を岩をも通す信念で突き進みなさい」と言いたかったのかな?
と感じる次第です
その他の新成人へ送った手紙に「法華経(ほけきょう)」からの引用があったりと…
今更ながら希林さんの「識」の広さと優しさに驚きます

しかしNHK、公共放送としてエエ番組創りますなァ~
せっかく受信料を払っているんだから、たまにはちゃんと見ようかな…
- 2018/10/29(月) 22:23:17|
- 独り言
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
長男が海外に行っている間に、岡山のアパートへ冬物の衣服などを持って行ったついでに岡山城へ

小学校5年生のバス旅行以来かな?
その時は岡山城行って後楽園でお弁当を食べた記憶が…
錆びた鋲を見つけるとツイツイ…

正面から見る
中々堂々としたカッコイイ天守閣だ、カラスの黒さに似ているため、カラスの別の読みなである烏(う)をとって、「烏城(うじょう)」とも呼ばれているらしい。松本城はそのまま「烏城(からすじょう」と言わているのに…松本城に遠慮したのか、ヤヤコシイ
天守閣に入場料(300円)を払って入ります

しかし内部はエレベーターがあり、お土産屋さん、食事コーナー、そして「備前焼体験コーナー」なんてものもあり、天守閣内部は現代風です。
昭和20年の岡山空襲で焼失し、昭和40年代に復元されたのでそれ仕方ないです
天守閣最上階から下界を見下ろす
天守閣傍を流れる旭川(あさひかわ)では白鳥の足漕ぎボートが浮かんでいた
もうチョイワイドに撮りたかったがこのときは単焦点レンズだったので仕方ない…

天守閣を出る
外では武将を演じるお方たちが、かつてこの地を治めていた宇喜多秀家の説明をしています

姫路城や彦根城でも同じように武将になったお方たちがお城の説明をしている
最近よく見る風景だ…

岡山城、外観を見ると、堂々とした立派なカッコイイお城ですが、内部は現代風で真の「城マニア」はチョットがっかりするかもです。
しかし黒い壁に金の鯱が意外とマッチして、シブさでは(私的に)上位にランキングしそうなお城でした
- 2018/10/28(日) 17:27:17|
- 写真散歩(兵庫県外)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
長男がNYに渡って一週間近く経ちました
「そっちの具合はどうだい?」なんてLINEで送っても「まあまあ」「元気でやっている」なんて一言二言の返事のみ…
「NYの夜景写真送れ」に対して
NYの夜景「どんな作業をやっているのか?」に対して
お世話になっている博物館の入り口「ちゃんと食事とれているか?」に対して
一昨日の晩飯と写真のみの返事だ…
こっちは心配しているのに…
まあ家族のLINEグループでのやり取りなので、個別ならちゃんと言葉で返事しているようだ(カミさんには)…
あと一週間ほどで帰国です
どんな土産話か楽しみだ
- 2018/10/26(金) 19:08:12|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
最近は本当に何事も便利になりました
現代社会では技術の発達により、ドンドン移動時間が短くなりました
そして作業や家事に費やす時間もドンドン短くなってきました
そうであれば現代人は昔の人に比べてず~~っと余裕のある暮らしをしているはずなのに現代人は逆に忙しく感じてしまっている気がします…
何でだろう??
私なりに考えると、昔に比べてあれこれ思うことが可能になってくると、更に「欲求」が高まって色々な物を手に入れたくなっているのでは?と感じます
一つの物事だけでは飽き足らず「これもやりたい、あれもやりたい…」車の中で音楽だけで浸っているだけでは飽き足らず、スマホゲームの続きをやりたい、LINEもやりたい…ご飯を食べながらもスマホをいじっている…
余裕のある暮らしをしているのにまだ足りないと叫んでいるようだ
私の好きなお坊さんの釈撤宗(しゃくてっしゅう)さんの著書でも同じようなことを書かれていました
メディアを通じて色々な人と離れながらも「繋がったよう」に思えますが、本当は直接会って話をすることを避けているではないか?本当の気持ちをさらけ出せる相手なんていないんじゃなか?なんて思ってしまいます
西脇市岡之山美術館にて現代人の忘れ物は、肝心の「こころ」なんじゃないかと思いますね
何か説教じみてスイマセン
今日は仕事帰りに歯医者に行って、普段はぶっきら棒な先生から「よく磨けてますね」なんて珍しく褒められてチョイいい気になっております…
- 2018/10/24(水) 21:24:31|
- 仏教
-
| トラックバック:0
-
| コメント:6
長男がNYに到着、セントラルパークにて先行の先生と無事に落ち合いました
「セントラルパークのマックにて先生と会えました」とLINEで連絡が…
「良かった」と同時に「マック?関西人ならマクドだろうが」と突っ込みを入れたくなりましたが、彼の地はアメリカなので止めときました(笑)
「ニューヨークの夜景を写真で送れ」なんてLINEで言いましたが、カミさんから「時差ボケもあるし疲れているだろうから、あんまり色々言うのはやめなさい」と叱られました…
結局送ってきたのがこの2枚
研究で赴いたアメリカ自然史博物館の館内の写真です


軽いファイルなので最低の画質で撮っているんだろうな…
アメリカ自然史博物館は世界最大級の博物館で、映画「ナイトミュージアム」の舞台となった博物館です
これから2週間、これまでフィールドワークで発掘した化石のクリーニングなどを手伝って色々学ぶらしい
そして後続の大学生が来たら入れ替わりで帰国するみたいです
日本人は現在大学の先生と本人の二人だけ、あとは全てアメリカ人のスタッフです
宿泊先も先生の知り合いの家にホームステイさせてもらうらしい
お土産に持たせた姫路の銘菓、ちゃんとステイ先の家族に渡せただろうか…
なんてショーもないことを考えてしまったバカな親です
とりあえず頑張れ
- 2018/10/23(火) 21:59:21|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
次男がついに買いました
※ナンバー映っていますが、再登録で別のナンバーに差し替わります黄色いこの車は、数が少ないため中々見つからず、60キロ離れた神戸市で見つかりました
なんせ次男は以前から「車は黄色に決まっているだろう」と変な拘りが強い子でした
昨日次男と私の二人でその中古車屋さんに行っていきて注文してきました
結局、手付金を私が数万円だしてあげて、残りのローンは次男が払っていくことに
しかし免許を取って初めての車なので任意保険の高いこと…
ネットで見積もりをしても金額で驚きます
まあ後は本人が自分が決めて維持して行くことなので親は口を出しませんが…
実は一年前に駐車場は借りてあげてそのまま1年過ぎてようやく車を置けることになったのです
その時の日記⇒
リンク1年間も車置かずに駐車料金を払い続けていた…
昨日は神戸から帰ってから、駐車場を管理している会社へ車庫証明に必要な書類に一筆書いてもらおう持っていた所、担当のオジサンに「勿体ないですね~でもうちはお金を頂いているので有難いですが」なんて言われました…
でもまあイイです、今住んでいるマンションの近くだし、偶然私の借りている枠の隣で、次男の友人や知り合いが私のマンションに遊びに来た時に停めさせてあげております
手続きの関係で、この車を取りに行くのは3週間くらい先になりそうですが
その時は私が慎重に運転して帰ります(なんせ高速を走るのはまだ怖いらしい)
さあこの車で何処へ連れて行ってもらおうかな…
- 2018/10/21(日) 21:38:40|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
行ってきました
私の実家の地区は「灘のけんか祭り」で有名な灘地区ほど規模は大きくありませんが、神社境内での大屋台の練り合わせが「小芋を洗っているようにみえる」ということで「小芋祭り」とも呼ばれ結構有名です
しかし私は屋台の練り合わせよりも、「御旅所(おたびしょ)」のある山頂から大屋台が急な坂をゆっくり降りてくるシーンが好きで、いつも同じ場所に陣取ってカメラを構えます
急な坂を声を揃えてゆっくり降ります

大屋台を担ぐ「練子(ねりこ)」は苦悶の表情

声を張り上げて気合いを入れます

古いレンズでブレ防止機能なんて無いのでボケまくりですが…

私の実家の町は、大屋台を担ぐだけではなく、差し上げた状態で山を降るという高度な技を使います

ギャラリーたちもそれを目当てに、毎年私の実家の町の屋台が山を降る際には特に人だかりが集まります
従ってまともに近寄って撮れない…
こんな感じで一日中祭りを堪能しました
この頃、私の長男が香港からニューヨークに向かって空を飛んでいます
日本時間の明日の朝にはケネディ空港に到着予定
2週間ほどのスケジュールで「ニューヨーク自然史博物館」へ大学研究のスタッフとして赴きます
空に向かって無事に着くように祈っておきました
- 2018/10/21(日) 20:12:45|
- 播州の祭り
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
暇つぶしに仏像の調べものをネットでしてたら私のかつて運営していたHPが引っ掛かった…
リンク⇒
「お気楽に行こう!」PCの環境によっては文字がずれたりしてまともに見れないかも…
確か8年ほど前に放置したまま当時のOCNとの契約が切れて終わってしまったものと思っていた…
懐かしさのあまり夜通し見てしまった…
いくつかリンクやページは切れてしまっているがほとんど残っていたとは…
一応最後の更新時にHPのファイルは一式こちらのPCに「temp(テンポラリファイル)」として残っているのでブロバイダと契約すればいつでも復活は出来るのですが…
復活させようかな…??
いれる写真が無かったので適当に近所の稲荷社
- 2018/10/20(土) 10:20:23|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
お寺が好きだ

お寺に行くと何故か落ち着きます

緩やかに風が通り抜けていきます

普段の生活では、なんと時間の流れが早いことか…
じっとしていると周りの人が自分をドンドン追い越して去っていくように感じる不安
自分だけ取り残されていると感じてしまう恐怖
そんな時にお寺に来て佇んでいると落ち着きます
何故だろう…
私なりに考えてみる
普段の早い時間の流れに、そして常に変わる環境の大きな変化、そしてインターネットやSNSなどのマスメディアを通じで日々四六時中「情報」を浴び続けている…
追い付かない我々は知らず知らずのうちに心にも混乱を生じている…
そしてチョットした事で心を乱している
そんな時は変わらない場所を持っていることが大切なのだと思う。
お寺はまさにそれであり、同じ場所にあり続け、動かないものであり、いつでも変わらぬ姿でそこにある。
これが、私たちには心の拠り所として大きな安心感を与えます。そしてそこに佇んでいるだけで、悠久の時の流れに身を任せることの心地よさがあります。それが自分の存在を客観的に知ることにつながり、自分の存在を肯定することができるのです。

最近は「葬式仏教」と喩えられるほど、仏教の存在自体が危ぶまれてきているように思う
「お寺は死んでから訪れるものではありません、生きているうちに来てこそ、です」と法話でよく聴くようになりました…
「変わらないこと」の大切さをお寺は無言で教えてくれる
「日々の忙しさに疲れたら来て見なよ」
お寺がそう語りかけてきたように思う
- 2018/10/18(木) 21:40:14|
- 仏教
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
次のページ